−とある一室。議員とその部下の会話−

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バスカービル大佐は不機嫌だった。
これは大佐にとって珍しいことではない。
大佐は一つの場合を除き常に不機嫌であったからだ。
すなわち物事が大佐の計画通りに進行している場合を除き、だ。

「逃げられた、だと?」
その声から、明らかに物事は大佐の計画通りでないのだろう。

「いえ、その、正確には逃げられたわけではない、と思われるのですが」
マイルズ中尉は答えながら右の目蓋を激しく瞬いた。
(これは、中尉が大佐に問い詰められている時に決まって見せる癖だった)

「我々はマクドナルド教授に気付かれること無く、隠密裏のうちに
教授宅を完全に包囲することに成功しました」
「それはそうだろう、私が立てた計画だ。間違いがあるはずも無い」

中尉は軽く咳払いをし、先を続けた。
「そして我々は、予定の時刻きっかりに教授宅へ踏み込んだのですが、
そこで我々が目撃したのは…その…非常に説明しづらいのですが…」


「つまりそれは、『教授の形をした何か』でした」

「…なんだと?」

中尉は再び激しく片目の瞬きを繰り返した。
一体今回の出来事は、大佐にどう報告すれば良いのだろう。


「今回我々が教授の拘留に踏み切った背景には、
教授が秘密裏に政府転覆の為の計画を進めているという情報を
入手した為ですが、今回の捜索で私は教授宅から押収したより、
その全貌を明らかにすることに成功しました。
お手数ですが、この資料に眼を通して頂けますでしょうか。
今回の捜索の経緯がすべて記載されております」

大佐が資料を受け取ってから暫くの間、
その部屋には大佐が紙をめくる音以外には物音一つ無かった。

「ふむ…つまりは教授自身は見つけられなかったものの、
教授がやろうとしたことはわかった、ということだな」

「はい、その通りです」

「だがここには、その肝心の"教授がやろうとしたこと"が
一切記載されていないではないか。これはどういうことだ?」
大佐は右手で資料を軽くはたきながら詰問した。

中尉はまたもや激しく瞬きを繰り返した。
この調子では、明日はまた眼輪筋の筋肉痛に悩まされそうだ。

「それは、その内容があまりにも突拍子も無いことであり、
公式の文書に記載することを躊躇われたためです。
教授はあるものを意図的に作り出すことを計画していましたが
それはおいそれと公言することを憚れるようのものであり、
出来れば上層部へ報告する前にまずは口頭で大佐のみに
概要を報告したほうが良いだろうと判断致しました」
「…ふむ、まあ良いだろう」
自尊心をくすぐられるところもあったのだろう、
大佐は一瞬満足げな顔を見せたが、
すぐにまたいつのも渋顔に戻り中尉に詰問した。
「それで、その一体教授は何を作ろうとしていたのかね?」

さあ、いよいよだ。

あれほどまでに繰り返されていた瞬きは、何故か今は起きていなかった。
中尉は生唾を飲み込むと、大きく息を吸ってから答えた。

「教授が作り出そうとしていたものは我々の『死』です」

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A
マイルズ中尉は不機嫌だった。
これは中尉にとって珍しいことではない。
中尉は大佐を前にした場合は常に内心は不機嫌であった。
そして中尉の仕事はその大半を大佐を前にしてのものだったのだ。

今回は、これから見られるであろう大佐の驚愕した顔を想像すると
内心多少陽気な気持ちにならないことも無かったが、
それ以上に今回判明した事実が、重く彼の心に圧し掛かっていた。

「我々の『死』だと?」
「ええ、その通りです。大佐もご存知の通り、
教授は我々政府に対して常に歯向かう言動を見せてきました。
どうもその、我々の所謂『圧制』を快く思っていなかったようですな。
そして今回、教授はついに政府の人間全てに『死』をもたらそうと
思い立ったわけです」

大佐は苦虫を噛み潰したような顔で吐き出した。
「まあ教授の考えは我々とかなりピントが外れていたらしいがな、
所詮一般人には上に立つ者の苦悩などわからんよ。
だが、まだいまいち教授が何をしようとしていたのか良くわからんな」

ここで中尉は、部屋の隅に控えていた人物のほうを振り向いた。
「詳しい話は、こちらのアルジャーノン博士に説明して
もらったほうが宜しいかと思います」

大佐は片眉をピクリと持ち上げ、胡散臭そうにこの白衣の人物を凝視した。
どうも今まで博士が部屋に同席していることも気付いていなかったらしい。
そういえばこの人物はこの部屋に入ってきてから一言も話していない。

「あまり民間人をこのような場に同席させるのはどうかと思うが…
まあ良いだろう。それでは、と博士。
最初にだ、その『死』と言うものは一体全体何なのだ?
私は今までそんな言葉は聞いたことがないのだがな」

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B
アルジャーノン博士は不機嫌だった。
これは博士にとって珍しいことだった。

博士は、陳腐な言い方をさせてもらえれば、愛と情の人だった。
博士のその頭脳は、常に人を幸福にするために働くことを望み、
博士のその心は、常に弱者のために苦悩していた。

その博士にとって、民衆に圧政を強いる軍隊は好ましいものではなく、
大佐はまさにその圧政を体現化した人物であった。
博士は以前から大佐の事を良く知っており、その事で頭を悩ませていた。
『大佐に人の愛をわからせることは私には出来ない』

それでも、まずは説明だ。
博士は陰鬱な気持ちを振り払って大佐に向かって話し始めた。

「ご存知の通り、我々は自らが望む限りはいつまでもこの世界に
留まり続ける事が出来ます。我々は、この世界に存在することに飽き、
この世界から消えることを自ら決意して初めてこの世界から消え去るのです。
これは一般に『先立つ幸福』、略して『サキ』と呼ばれています。
この『サキ』は…」

ここで大佐は右手を上げて博士の説明をさえぎった。
「ああ、わざわざ『サキ』について時間を割いて説明することも無い、
あまりにも常識的なことだからな。それとも何かね?
君は私のことを子供か何かとでも思っているのかな?」

「…そうですか、それでは『サキ』についての説明は割愛し、
結論から申しましょう。
教授は、この『サキ』を特定の人物に対して、その本人が望む望まないに
関わらず強制的に与える方法について極秘に研究を続けていました」

「…何だと?」
「わかり難かったですかな?」
博士は他人にはそれとわからないくらいの微笑を浮かべて続けた。
「つまり教授の研究が完成すれば、本人の意思とは関係なく
他人をこの世から消すことができる、ということです」

「『本人の意思とは関係なく』だと?」
「ええ、そうですね」
「『強制的に』!」
「全く持ってその通りですね」

「そしてこの『意図せぬサキ』こそを、
我々は専門用語で『死』と呼んでいる訳です」

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C
バスカービル大佐は不機嫌だった。
というよりも放心していたと言ったほうが正確だろう。

大佐は、あまりの衝撃に口を大きくあけたまま言葉も発せずにいた。
博士は、(あまりある愛と情の人だったので)
そんな大佐の様子にも多少同情の念が沸かないでもなかったが
そんな様子は微塵にも出さず、淡々と説明を続けた。

「教授は、とある物質を人の脳内に投与することにより
他人に『死』をもたらす能力が備わると考え、実験を続けていました。
資料の中では、特に他人に対して『死』をもたらす行動を『殺す』と
定義されていました。…どうもこの言葉は響き的に汚らしく、
あまり気に入るものではありませんな」

「それはさておき、教授は何らかの方法でこの少女を政府に送り込み、
政府の要人に『死』をもたらそうとしていたようです。
そして最終的に教授はその物質を作り上げることに成功し
(と教授は思っていたようです)、一人の少女にそれを投与しました」

「教授がこの少女を被験者に選んだのは、彼女が、教授が知る限り
最も心優しき者であり、彼女であれば決して私利私欲のために
他人に『死』をもたらすことは決して無いこと、
また同時に彼女は教授を最も愛するものであった為です。
まあ普通、自分の頭に何だかわからない薬品を
注射されそうになれば誰でも嫌がるものですからな」

「実験の結果、彼女は教授の期待通りに、
他人に死をもたらす能力を身に付けます。
ただ、薬品を精製する際に何か誤りがあったのか、それとも
そもそも理論上の組成自体が間違っていたのかは不明ですが、
その能力は教授が意図したものとは多少異なっていました」

「まず第一に、その力は彼女が意図的にふるえるものでは
ありませんでした。彼女が望む望まないに関わらず、
彼女はそこにいるだけで周りに死を与える存在となってしまいました」

「第二に、彼女の能力は彼女が愛するものに対してのみ効果を
発揮しました。そして彼女がその対象を深く愛せば愛するほど
強く迅速に死をもたらしました」

「当時の教授の日記から、この予期せぬ能力に対する教授の狼狽が
はっきりと読み取れます。それはそうでしょう、
彼女が最も愛していたのは教授自身に他ならないわけですから。
そして教授の不安通り、まず初めに教授に死がもたらされました。
最も心優しき者、そして最も教授を愛するものを被験者に選んだがために、
結局教授自身が最初の被害者になると言うのもなんとも皮肉なことですな…」

「もうおわかりでしょう、中尉が教授宅で目撃した『教授の形をした何か』
とは、まさしく『サキ』を受けた教授自身に他なりません。

通常我々が意図的に『サキ』を望む場合には
他人にその姿を見られる事が無いようにするのが礼儀ですからな、
今まで『サキ』が訪れた後の人間を見たことが無い中尉には
教授の所謂『亡骸』を見てもそれが教授だとは気付けずにいて
当然というものでしょう」

教授は中尉の方を向き、頷きながら説明を締めくくった。

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D
バスチーユ主任は不機嫌だった。
これが主任にとって珍しいことかどうかはどうでもいい。

主任の受けた命令は、とある崖を崩して、
傍らに建っている廃屋諸共地中に埋めろというものだった。
確かにこの仕事は主任にしてみれば朝飯前の仕事だろう。

ただ、どうやら今回の任務は非合法であるらしいという点が
どうにも主任の気に入らなかった。
こんな命令を実行したことが外部に漏れた日には
世間からどんな非難を浴びるかわかったものではない。
ただでさえ主任が普段行っている仕事は
周りから白い目で見られることが多いものなのだ。

だがこれは…中尉殿直々の命令だ。
中尉は他の軍人どもと違って我々に親身になってくれる良い人だし、
ここで政府に恩を売っておけば今後の出世にも役に立つ。
彼はそう思い直して、予め仕掛けておいた発破のスイッチを押した。


一瞬、廃屋の中に少女の影らしきものが
見えたようにも思えたが恐らく気のせいだろう。
そして、その人影が自分を深い憐れみの目で
見ていたように思えたのも気のせいに違いない。
さあ、他の人間が爆音に驚き集まって来る前に急いで撤退しなくては。

彼はエンジンをかけたままでおいといたトラックに乗り込み、
運転を始めたが、数分もしないうちにめまいを覚えた。
おかしい、まだ昼間だというのに周りが暗くなってきている。

だんだんと薄れていく景色の中で、
彼は結局最後まで自分に何が起きたのかを理解することは無かった。

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E
バスカービル大佐はご機嫌だった。
なんと珍しいことだろう。

「ということは無事に成功したんだな?」

「はい、全ては計画通りに行われました」
「我々は『サキ』が隠れ住んでいた建物を探り当て、
その建物を無事に地中に埋め込みました」

「ただ、実際に作業に当たったバスチーユ主任ですが、
大佐の懸念通り、その…サキの『愛情』にあてられて
『殺されて』しまいました」

「ふむ、やはり外部の者を使って正解だったな。
私の読みが見事的中したわけだ。
当然そいつは誰にも気付かれなかったんだろうな?」

「はい、大佐に言われたとおり、遠隔より主任を監視し、
彼が『死』んだ事を確認してすぐに彼を回収しましたので
特に気付いたものはいないはずです」
中尉は、当時の様子を思い出し胸にむかつきを覚えた。
あの『死体』というものは何度見ても慣れるものではない。
部下達には「精巧に作った人形」だと説明したが…

「それならばもう何の問題も無いな」
大佐は悦に入ったように言葉を続けた。

「これで彼女に会うものもいなくなる。
彼女が地中深くで何者も見ることが出来なければ、
当然人を愛することなど出来やしない。
今まで通り、世の人々は自由な生活を楽しむことができるのだ。
世界に向かって私のこの偉業を教えてやりたいものだな」


その声を聞きながらアルジャーノン博士は一人、
人間性というものについて考えていた。

大佐は根本的な考え違いをしている。
人は、誰かを目の前にして初めてその人を愛するだろうか。
今まで一度もあったことの無い人物には憐憫の念は持てないだろうか。

いや、決してそんな事は無い。

人の愛情とは、物や距離で隔てられるようなものではない。

彼女のやさしい性格は、目の前にあるもののみならず森羅万象を、
人間だけでなく草木や動物といった万物を、全て暖かく慈しむであろう。


これから夜の帳が下りてくる。

それを寿命と呼ぼう。今後は全てに対して等しく『死』が訪れるのだ。


『これで大佐もやっと』

博士は陰鬱な満足感を感じていた。

『人の愛の深さをその身で感じることが出来るだろう』

[EOF]




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