海辺の洞窟〜後編〜



「…おい! 珠里! 珠里ぃっ!!」
「……あ? あれ…? ……え?」

ぼんやりとした、靄のかかったような視界の中。
珠里にとって見慣れた、むさ苦しいけれどどこか懐かしく、いざというときには最も頼りになる男の顔が眼前にあった。

「……真吾?」
「良かった…生きてた」
「生きてた…って、そんな言い方ないよー!」

軽く頬を膨らませながらようやく醒めてきた頭で珠里は周囲の様子を確認する。
白い壁、薄青いカーテン、白いシーツ、ベッドの上……

「ここって……病院?」
「あ、うん…そのー、なんつーか、覚えてないかもしれないけど……」
「ちゃんと話して」

珠里は真顔で正面から真吾の顔を見据える。

「それに……」

そしてきょろきょろと周囲を見渡し、気になっている親友の姿が見られないことを確認すると、説明を求めた。

「朱美のことも」
「……わかった」

真剣な表情で真吾はうなずいた。
真面目な話題に関しては、変に気を遣って誤魔化したりしないというのがこの2人のルールだった。


真吾の話はこうだ。行方のわからない珠里と朱美を心配して、地元の警察と消防に連絡し、一緒に捜索をしていた。
しばらくして洞窟の中からただならぬ悲鳴を聞いて、駆けつけたときには、珠里と朱美が化け物に捕まって酷い状態だった。
男数人がかりで水をかけたり砂をかけたり消化器をぶちまけたりして何とか追い払い、病院まで運んだのだという。


「それで、朱美は……?」
「目は醒めてはいるんだけど、声をかけても反応がほとんどなくて……ショックを受けてぼーっとしてる、って感じだ」
「そう……」

化け物に出会っただけではなく、相当の辱めを受けたのだ。
ショックは計り知れない。もっともそれは珠里にとっても同じ事だが。


「とりあえずゆっくり休めよ」
「……うん」

恋人の気遣いに感謝しつつ、珠里は癒えきってない身体を再び眠りに委ねることにした。

横になったままゆっくりと目を閉じる。
邪魔になってはいけないと思ったのか、真吾は黙って部屋を出ていった。










目を閉じると、暗いまぶたの裏にあの光景がよみがえってくる。
最初に感じた恐怖。背筋を駆け下りるような嫌悪感。
次々と与えられる快楽の中で感じた幸福感。
理性と狂気の境界線、闇の向こうにある、全く知らなかった別の世界の向こう側をのぞき込んだような感覚。
足場を失ったような心細さと、その中で見つけた解放感。


「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……」

いつの間にか珠里は、荒く切ない吐息を吐きながら身悶えていた。
身体の奥底に染みこんだ快楽の記憶が、麻薬のように甘く切ない禁断症状を引き起こすのだ。
いや、実際にあの生物の体液に麻薬に相当する成分が含まれていたためかも知れない。

ぴちゃ…

「はぁっ……」

パジャマの隙間から手を滑り込ませ、股間に指を這わせる。
切なさに震える珠里の秘部はすでにとっぷりと濡れていた。

ぴちゃ…ぴちゃっ! びちゃっ! ぴちゃぴちゃっ!!

「はぁっ、あっ、あぁ……あ、くぅ…」

動かす指が止められない。
快楽に慣れきってしまった脳の禁断症状を抑えるには、自らの手で自らを慰めるしかないのだ。
その指の動きは自らを慰めるというよりは自らを凌辱すると言っていいほどの激しいものだ。
しかしそれでも、

「あっ、あぁっ……くうぅっ!」
(だ、ダメ…こんなんじゃ、こんなんじゃ全然満足できない!)

触手生物によって与えられた圧倒的な快楽の前には、自らの手による刺激など到底問題にならないほど弱いものであった。

コンコン!

「は、はいっ!!」

突然個室のドアがノックされ、珠里は思わず裏返った声で返事をする。
ドアを開けて入ってきたのは真吾だ。

「あ、真吾……」
「……ここにも来てないか。朱美ちゃんが居なくなったんだ。何か心当たり…」
「えっ、そ、そんな……」
「あ、いや起きなくていい。俺らがちゃんと必死で探してるから。お前は自分の身体のことを考えてろ」
「う、うん……」

起きあがろうとする珠里を制して、再び真吾は部屋を出ていった。

再び、部屋の中を闇が支配する。






(朱美の行く先…)
(朱美は私より先に化け物に捕まった分、より深く心にダメージを受けていた…)
(そして、あたしと同じような気持ちを抱いていたとしたら…)
(だとしたら…朱美の行く先は……)

「……っ!!」

思考が繋がり、思わず身体を起こしかける珠里。
だがそれを理性が必死に押しとどめる。

(ダメ! あたしまで朱美と一緒になってどうするの! そんな破滅的な……は、破滅的……)

破滅的…当たり前の日常生活から全く違う角度に一歩を踏み出すような甘美な響き……
そして現実に見せつけられた破滅への糸口…
珠里は、自らの心の底に巣くうタナトスへの欲求によって突き動かされていた。

バサッ!

思いきりシーツを跳ね退けて体を起こす。

(た、確かめるだけだから……朱美が居るかどうか……)
(そう、洞窟まで行ってそれから朱美が居たら報告しに帰ってきて……)

必死に自分に対して言い訳をしながら、病室のロッカーに納められていた荷物を見つけると、てきぱきと着替えを済ませ、外へ出てゆく。
その様子はまるで何かに憑かれているかのようであった。












数時間後――
珠里は再び海辺の洞窟にやって来ていた。

(あぁ…ダメだって、ダメだってわかってたのに…来ちゃった)
(でも……一度あんな感覚を味わってしまうともう……)

洞窟の入り口で、荷物を下ろし、服を脱ぎ捨て、サンダルを脱ぎ、ごつごつした岩場を一歩一歩奥へ歩いてゆく。
珠里の前に、巨大な影が姿を現した。先日は岩の穴の中に隠れて確認できなかった、触手生物の本体だ。
5,6メートルはあろうかという体長、でっぷりとした体躯、そして全身に毒々しい緑の触手を生やした半透明緑色の身体。
その身体のあちこちから女の顔や上半身が『生えて』いた。
全身を触手生物の体の中に埋め込まれ、呼吸をするためだけに顔や上半身を外に出されているといったところか。
その顔はことごとくが恍惚に歪んでおり、切なげな、だが弱々しい吐息を上げ続けている。

「食べられて…る……?」

じゅりじゅりっ! じゅりじゅりじゅりっ!!

音とともに女たちの身体が、ゆっくりと触手生物の身体に沈み込んでゆく。
官能を呼び起こす刺激に、当然のごとく暴れ回るであろう女達の足は、半透明の触手生物の身体を通して見ても、どこにも見あたらなかった。
光の屈折で見えないわけではない。『なくなって』しまっているのだ。
触手生物が消化酸を用いて女の身体を溶かしてゆくその引き替えに、女の身体には消化によって現れた身体の切断面の神経から、苦痛の代わりに想像を絶する快感が送り込まれる。
脳が消化されるその瞬間まで、女達には天国とも地獄ともつかない快楽が与えられ続けるのだ。

「朱美っ!!」

女達の顔の中に朱美を見つけ、珠里は思わず大声を上げた。
珠里の姿を認識して、一瞬朱美の目に光が戻る。
朱美は何かを訴えるように、必死の表情で口をぱくぱくさせた。

タ・ス・ケ・テ……

口の動きはそう言っていた。
だが直後、その表情は再び官能の喜悦に染まってゆく。
理性の最後の灯が消えた瞬間だった。

じゅりゅるるるっ! ぬじゅりゅるるるっ!!

「あ…あああぁ……
あーーーーっ!!」

珠里の全身に、満を持したように触手がまとわりついてくる。
ねとり、という感覚が珠里の脳に甘い官能の記憶を呼び起こした。

ぬじゅぷりゅっ!!

「ひいぃぃんっ!!」

珠里の身体を引っ張り寄せた触手は、自らの不定形の表面に珠里の身体を押しつける。
ぐにゃり、とその身体が変形し、珠里の全身をずっぽりと飲み込む。
変形によって生じた『裂け目』の内側は女の膣を思わせる襞々に埋め尽くされており、その一つ一つが獲物の肉体を苛むように細かく設計されていた。

じゅぬるるる…ぬじゅりゅるる、にゅるるるるるる……くちゅりゅっ! ずちゅっ! ぬちゅるるるっ!!

「ああーーっ!! いいぃっ! いっ! 気持ちよすぎるぅぅっ!! 身体ぁ! と、溶けるとけるぅぅう!! きいぃぃっ!! そ、そんらとこぉ! お、オシッコの穴ぁぁーーっ!! お尻ぃぃ!! オマンコ、オマンコえぐれるぅぅっ!! くあぁぁぅあっ!! 体中、汚してぇ! 擦ってぇ! きもちいいぃぃっ!!」

触手たちは、珠里の身体が埋め込まれてきたことによって生じた空間を埋め尽くすように、そのおぞましい緑色の身体をうねらせる。
その柔らかい特性を生かして、膣奥から子宮へ、尿道から膀胱へ、直腸から大腸へ、さらに奥へ触手が侵入してゆく。

珠里の粘膜と触手の粘膜が接触し、浸透圧によって急速に麻薬成分が珠里の体内に吸収されてゆく。
さらに粘膜同士を激しく擦り合わせられる刺激は快楽に転化され、珠里に身動きする気力すら失わせてゆく。
完全に触手生物の体内に取り込まれた珠里は、他の女達同様、顔を外に出して官能の声を上げ続けることとなった。

ぬじゅるるるる……ぐちゅるっ、じゅるるるっ! じゅぶるるる……ずりゅるっ! ずにゅるるるっ!!

「あ…あくぅっ!! お、おぉぉ……奥ぅっ! おぐっ! おな゛ががが……お腹の奥にッ……くぅぅっ!!」

触手たちは、弛緩した筋肉を限界まで押し広げ、隙間という隙間に柔らかいその身体を捻り込ませる。
子宮と直腸には何本も何本も触手が入り込み、珠里の腹部は風船のごとくパンパンに膨らんでいた。
外からヘソを抉り回す触手が、その薄い腹膜を突き破らんばかりに暴れ回る。

ぎゅちっ! ぎゅちゅるるるっ!! ぐじゅるじゅるるる、ずじゅぷるるるっ!!

「あ、あひぃ……はぁ、はぁぁ……あひ、あふぅ……うぅ…うごごごご……ごぼおぉっ!!!」

ついに直腸から侵入した触手が、大腸を通り、小腸を駆け抜け、胃から食道を通って口から飛び出してきた。
血と粘液が混ざり合ったピンク色の液体が滴る触手を喉から生やし、たまらずに珠里は白目を剥く。

「んおぉぉぉ……ぉぉぉ……」

どぷっ! どぷどぷどぷどぷぅっ!! ビチビチビチッ!!

珠里の身体の内奥に潜り込んでいた触手のことごとくが、一斉に白濁液を噴き出した。
一見すると射精を思わせる様子だが、その液体の正体は『消化液』だ。
火傷しそうなキリキリとした痛みを感じた珠里だが、直後にはその痛みすら痺れるような快感に変わってゆく。
だが、そいつらは獲物の身体をゆっくりと、確実に、溶かしてゆく。
自分の喉から生えた触手の先端が発した消化液が、目の前の岩肌にかかり、白煙を上げる様を、珠里は目を見開いて眺めていた。

ふしゅううぅぅぅぅ……ぐにゅるるる…ぐちゅっ、ぎゅちゅるっ!! じゅぶりゅるる!!

「ほごごごぉぉーーっ! んおぉっ! んむうぅっ!!」

(と、溶ける…ほんとに……身体がとけるぅぅ……下半身の感覚が…なんか解らないけど気持ちよすぎて考えられないっ!!)

完全に麻痺した珠里の両足はもはや動くことなく、ぐったりとして消化されるのを待つばかりだ。
ヘソに突っ込まれた触手は腹膜を突破し、ひくひくと痙攣する珠里の下腹部と小腸を掻き回し、犯し続けている。
内臓を掻き回される苦痛に痙攣しながらも、珠里の脳はもはや快感しか受け容れない。
触手に占領された口の端から官能の涎を流しながら、珠里は消化される悦びに身を委ねていた。

ぎちゅっ! ぐちゅるっ!! ぐちゅっ! ぬちゅっ! ぎゅにゅるるるっ!! ぶじゅるるるるっ!!

「お、おぉぉ……お゛ごぼぼぼぼっ…」

ぞわぞわとざわめくように触手が動くたびに、珠里は泡を吹いて身悶える。
化け物の身体に取り込まれた消化される珠里の身体の周りは、化け物自身の緑色と、消化液の白色と、血の赤色と、脂肪やリンパの黄色が混ざり合い、透明度が落ちてゆく。
珠里の身体と化け物との境界は次第にぼやけてゆき、それとともに珠里の意識はどんどん遠くなってゆく。

(う…うそ……あ、あたし……消える、消えちゃうぅ……)

むき出しになった神経を直接弄くられる快感の中、珠里は自らが溶かし殺されることをはっきりと悟った。
かろうじて正気の頭で珠里が最後に感じたことは、自らが消えてしまうという圧倒的な恐怖と、理性から浮かび上がったような不思議な解放感だった。











ずりゅ…ずにゅるる……ずじゅるるるる……

「はぁぁ…あはぁ…くぁんんーー……」
「ひぃん…あくぅ……くぅ…あぁ……」
「あ、あふんぅ……お、おぉぉぉ……」

ただただ肉の快楽に身を委ね、補食され続ける獲物たち。
一定の満足を得た触手生物は、その不定形の身体を引きずり、自らのねぐらである縦穴の中へ滑り込ませてゆく。
自らの身を隠し、次なる獲物を得るために。
それまでの長い間、哀れな獲物となった珠里たちは、ゆっくりと消化され続け、養分を吸い取られ続けるのだった。



おしまい