淫神楽〜第1話〜



「……っ、くっ……うぅっ……」

 堪えきれない官能に押し出されるように、食いしばった歯の隙間から吐息が漏れ出る。水分と熱をたっぷりと帯びたその呼気は、腐臭を放つ肉塊によって温められた空気と混ざり合い、菜摘の鼻先へ不快な気流をもたらした。

「うぅぁぁっ、あっ……ああぁっ……」

 菜摘の全身に貼り付く柔らかな肉塊から径1mm程度の糸ミミズのような触手が伸び、慎ましやかな白い乳房を這い回る。這い跡には粘液がキラキラと反射し、触手の先端は紅く充血した両の乳首を捕えて巻き付き、くすぐっている。

 掻痒感と同時に与えられる不快感。菜摘は身を引いて何とか逃れようと試みる。だが、それは叶わなかった。
 必死に力を込めるその華奢な両腕は、周囲の空間を覆い尽くす肉色の生物の身体に半ばまで埋まり、がっちりと拘束されているのだ。いや、腕だけではない。鮮やかな朱色の袴を支える帯によってくびれを強調された細腰も、巻き付く肉管によってがっしりと固定されていたし、「ぺったん座り」の姿勢で床と接触することになった太腿も、床を這って袴の中に侵入してきた触手達によって押さえつけられていた。

 着心地の良かったはずの木綿の巫女装束は、この謎の肉塊が発する粘液によってビショビショに濡れ、胸元は大きくはだけて極細の触手達に嬲られる両乳房をさらしていた。

「どぉして……こん……な……くうぅんっ!」
 どうしてこんなことに――
 ヒクヒクと痙攣する口元から紡ぎ出されようとしたその言葉は、鼻にかかった甘い呻きによってかき消された。
 年に一度、3日間だけの、それも形骸化した儀式だったはずなのに――
 菜摘は全身を包み込む不快感に苛まれながら、ただひたすらに自らの不注意と不運を悔いていた。

 


 菜摘の生家である六車神社では盆の時期、3日にわたって「閉門の儀」と称する祭礼が執り行われる。建立以来千年以上にわたって行われてきた伝統だ。六車神社が建てられたそもそもの理由もこの儀式にある。

 平安初期、後に六車神社が建立される溜霊山では数年に一度、決まって盆の時期に失踪事件が起きていた。
 盆は元々死者の霊を迎えたり送り出したりする儀式だ。そのため、ここ溜霊山のように霊力の溜まりやすいとされる地域では、現世と黄泉の境界である「門」が開きやすいとされる。「門」は異質な空間を繋ぐ境界面のことで、空中にぽっかりと空いた暗い穴のように見える。知らない者が見るとちょっとした超常現象だ。

 行き来するのが死者の霊だけであれば何も問題はなかったのだろう。だが、ここ溜霊山において、数多の霊とともに門から現れたのは、異形の魔物だった。

 本来、現世と黄泉両方に干渉できないとされる「狭間」と呼ばれる空間。並はずれて大きな溜霊山の「門」は、この空間と現世を繋ぐトンネルの役割を果たしてしまっていたのだ。

 巨大な肉玉と二本の足を本体に、何十本もの肉色の管を操り気味悪げにうねらせるその姿から、魔物は「管魔」と名付けられた。管魔は数年置きにこっそりと、あるいは堂々と現れ、決まって若い女性を生贄として捕えて「狭間」へと連れ去っていったという。

 事態に心を痛めた時の嵯峨天皇は、溜霊山に神社を建て、そこを司る一族に六車の姓と魔を祓う力を与えるとともに、ある特殊な能力を与えた。「門」が「狭間」と繋がってしまわないように、広がりすぎた「門」を閉じる能力を与えたのだ。これが六車神社と「閉門の儀」の起こりである。

 「閉門の儀」を行うことが出来るのは、六車の一族の処女の巫女に限られる。菜摘が小学校の低学年の頃までは叔母が、その後は歳の離れた姉の穂積がこの儀を執り行っていた。
 菜摘自身も補佐役とはいえ毎年関わっていたので、儀式の手順はほぼ完璧に暗記していた。思えばこれが不注意の元だったのかもしれない。

 儀式は3日目の朝に差し掛かろうとしていた。閉門の儀に使う祭壇は前日の夜に凍結の術式を施され、儀式の再開を待つ状態になっていた。しかし、開始の時刻になっても祭礼を執り行うべき穂積が現れなかったのである。
 このとき菜摘が寝過ごした姉を起こしに行っていれば、儀式は何事もなく完了していただろう。しかし、菜摘はその場で封印のために立ててあった御幣を抜くと、自分一人で儀式を再開してしまったのだ。

 十数年この儀式に携わってきて今まで、魔物の気配など欠片も感じたことがないという油断。そして、自分も六車の巫女なのだから祭礼ぐらい一人でも出来るというプライドが判断を狂わせたのだろうか。
 折り悪く、そのとき祭壇に姿を現していた「門」は、近年にないほどの規模と成長速度を持っていた。菜摘が凍結を解いてからわずか数秒で、彼女の未熟な力では制御できないまでに大きくなってしまっていたのだ。さらに十数秒の後、「門」からは管魔の触手が一斉にあふれ出し、祭壇を押し倒した。

 しまったと思ったときにはもう遅かった。逃げる間も助けを呼ぶ暇もないまま、ほとんど何が何だか分からないうちに、菜摘は無数の触手に捕えられ、弄ばれていたのだ。

 


 紐状の細い触手が巻き付いた両乳首のさらにその上から、先端にウツボカズラをひっくり返したような小嚢を有した触手が覆い被さるように取りついた。

「んふうぅ……んっ、くぅっ……ああぁっ! いやぁっ……」

 ブジュウウゥッ。下品きわまりない吸引音が響く。弄ばれて鬱血した乳頭が、さらなる陵辱を待ちかまえるようにピンと屹立させられた。
 太さも長さも、小指の第一関節から先をそのまま取り付けたような規模にまで肥大させられた乳首を、縛り上げる触手がコリコリと折り曲げ、揉みほぐす。
 その度に、乳首の柔らかな筋繊維の中で神経組織が押しつぶされ、ジクジクと甘い電気信号が菜摘の背筋に伝わる。

「んっ……んぁ……はあぁっ……」

 執拗で粘着質な愛撫に、食いしばった口元がゆるみ目の焦点が合わなくなってゆく。ぽーっと上気したように頬に紅が差し、上唇が切なげにヒクヒクと揺れる。精神を狂わせようとする刺激に対抗するように、菜摘は肩にぐっと力を入れた。

 どぷり――

「あ……」

 縮こまった身体から押し出されたかのように、菜摘の膣内へ大量の愛液が分泌される。熱いその奔流は、秘芯に深々と突き刺さった触手の胴を伝い、破瓜の血に混じって床へしたたり落ちた。

(そうだ……私、もう……)

 菜摘の処女は既に奪われていた。
 それはとりもなおさず、六車の巫女としての力を失ったこと――「門」を閉じる能力と、魔を祓う様々な能力を全て失ったことを意味していた。

「やめ……て……そんなぁ……こんなのって……」

 管魔の分泌する粘液に麻酔効果があるのか、苦痛は既に無かった。あるのは股間にくさびを打ち込まれたような異物感と、ソコを掻き回される不快感だけだ。全く抵抗することすら出来ない自らの非力を呪って、菜摘は顔を歪ませ目を細める。細まった眼孔から一筋の涙が溢れて頬を伝った。

「う、ぐっ……ううぅ……んぁっ……あっ……はああああぁんっ……!?」

 小さな嗚咽のつもりで放った声が、途中から妖しいなまめかしさを含んだものに変わる。自分の上げたその声に驚き、菜摘は目を見開いて息を飲んだ。

「あっ……くぅっ、んんっ! んぁっ、あっ、こ……こんなぁ……」

 痙攣する横隔膜が思わず発する声を止めることが出来ない。これまで異物の突き刺さる不快感しかもたらさなかった淫裂の奥から、次々と得体の知れないむずがゆさが湧いてくるのだ。

 膣奥では、差し入れられた太い触手の表面から二次的に生え出た細い触手が暴れ回っていた。ちょうど菜摘の乳首をいたぶるそれと同じ形を持った触手達は、つい先頃まで何者も受け入れたことの無かった肉穴を、我が物顔で這い回った。

 肉襞の一枚一枚を丁寧にねぶり、角質の隙間のシワをなぞり、子宮頸管を突いてほじくり返す。まるで柔らかな毛を有するブラシに掃除されているような様だ。
 それらの刺激の一つ一つが、充血した両乳首を舐め擦られる刺激と相まって、菜摘の身体を芯から燃え上がらせてゆく。

「あっ……ああっ、う、そぉっ……こんなの……どぉして……」

 菜摘の身体感覚が正常でないのは明らかだった。管魔が操る全ての触手の表面を覆う粘液。全ての原因はこれにあった。
 触手が網状に這う白く柔らかな肌、嬲り擦られる胸の突端、そして軟質の毛を有したヘアブラシ様の触手に貫かれた淫裂。その全ての箇所から催淫作用を帯びた粘液が吸収されていた。

 体内に侵入したその成分は、全身の神経組織に働きかけ、全ての外的刺激を快楽へと転化すると同時に、脳髄の奥にまで入り込み、菜摘の思考をひたすら性的快楽に特化したものへと染めてゆく。

「い……いや……だめ、これ……だめよぉ……あっ、あああああぁ……」

 意識の隅で抵抗する理性を振り絞り、菜摘は触手の愛撫から逃れようと身体を揺する。だが結果は、全身をがんじがらめにする触手に自分から敏感になった全身を擦りつけてゆくだけだった。抵抗の意思は、見る見る絶望に染められてゆく。

「ひんっ、ひぃっ、いっ……いあっ、あああっ! だめっ、こんな……耐えられな……いいっ! あ……凄ぉ……」

 動き始めた身体を止めることは出来なかった。変わらず愛撫を続ける触手に、菜摘は緩みきった至福の表情で全身を預け、カクカクと腰を振り続けた。

「あ……?」

 ズルッ――唐突に淫裂から触手が引き抜かれた。呆けた顔に一瞬疑問の色が浮かぶ。
 先刻までの責めの名残か、何もくわえ込んでいない淫唇から、ビュッ、ビュッと潮を吹くように愛液がほとばしった。

 グブブブブブブ――泡を吹くような奇妙な音声を発して管魔が笑った。確証は無いが、菜摘には確かに、この魔物が自分のことをあざけり笑っているように感じられていた。

「ぐっ……こん……な、ことで…………うっ!!」

 屈辱に我に返った菜摘だったが、鼻先に突きつけられた触手が放つ生臭い血の匂いに、思わず眉をひそめる。それはついさっきまで己の秘裂を犯していた触手、自らが流した処女血に他ならなかった。

「ち……ちくしょう……ちくしょうっ……ひぐっ、うぁっ……」

 口惜しさに歯がみして涙する菜摘を前に、管魔は再び笑った。長きにわたって現世に現れることを許されなかったその鬱憤を思う存分晴らすような、喜びに満ちた笑い、そして油断の末に魔の手に落ちた菜摘の愚かさを嘲るような笑いだった。

「え……あ……むううううぅぅぅーーーーっ!? んんーーっ!! むーっ!!」


 ひとしきり笑うと管魔は次の行動に移った。血がべっとりと付着したその触手を、ぽかーんと開いた菜摘の口に押し込んだのだ。
 のけ反った勢いで髪留めが飛び、ばらけた前髪が自分の顔面へ覆い被さってきた。
 口腔の粘膜を軟体生物に犯される感触に、菜摘の思考は一気にまとまりを無くした。触手の表面から生える柔毛は、それら一本一本が意思を持って口蓋を這い回り、舌に絡みつき、喉を撫で擦る。

「んえぅぅっ……んんーーっ! むぅぅーーっ! うっ……」


 ブヨブヨの触手による喉への刺激と、処女血の血なまぐささに菜摘は嘔吐感を催す。だた、今はその不快感すら強烈な快感であると錯覚させられてしまう。菜摘の身体を狂わせ、熱くしている正体――触手の表面から分泌されている甘苦い液体は、その間にも口内の粘膜からどんどん吸収されてゆく。

(ダメ……喉の奥が……吐きそう……なのに……気持ちいい?)

 目を細めて涙を流しながら、菜摘は喉から走る快感に困惑する。だが、その時既に、そんな矮小な感覚などどうでも良くなるほどの激しい責めが始まろうとしていた。
 床から這い上がってきて太腿を拘束していた触手の表面にも柔毛がびっしりと生えそろってゆく。そいつらが足裏を、ふくらはぎを、膝裏を、内腿を舐め回す。
 後ろに回された手をがっちりと固めていた管魔の身体からは新たに触手が生え、二の腕に巻き付きながら這い上り、腋の下のくぼみに取りついてブルブルとくすぐり始めた。

「ふむうううううーーーっ!! むーーーっ!! んんんんんーーーーーーっ!!!」

 皮膚を網状に覆っていた細い触手達も、それぞれが付着する皮膚を同時にくすぐり始める。肉付きの良い尻肉に、あるいは帯に押しつぶされそうな細腰に、小さくくぼんだヘソに、ぴっとりと吸い付いて細かく素早く舐め擦るのだ。粘液の効果で極限まで敏感になっていた皮膚には耐えきれない刺激だった。

(こんなの……こんなのってないよぉ……酷いよぉ……)

 柔毛に舐め回され続ける内腿を、新たな触手がズリズリと這い上ってゆく。菜摘の全身に群がるどの触手よりも太かった。

(うそ……そんなの……入るわけないよぉ……いや……恐い! だめ、逃げられない!)

 失われかけていた逃げようという意識を必死に呼び返す。だが、逃れる術も望みも完全に絶たれた状況では、悲観的な答えしか思い浮かばなかった。

「ふんむうううぅぅーーーーっ!!」

 メリッ、といった皮膚が裂けるような音が響く。その後は割にすんなりと、菜摘の膣口は無骨な侵入者を受け入れていった。

(あ……れ? 全然……痛く、ない……? でも……こんなの……)

 下腹部が引き裂かれるような感覚とは裏腹に、菜摘の神経が受け取ったのは激痛ではなかった。
 すっかり媚毒に冒された菜摘の身体は感覚神経が焼き切れる程の快楽にさらされる。それこそ、抵抗の意思など一瞬で吹き飛ぶほどのものだ。

「むーっ! んふぅっ! んん……んむうぅぅ……」

 管魔のなすがままになった菜摘の眼からは、急速に意思の光が失われてゆく。塞がれた口の端からは触手の吐く粘液と一緒に涎を流し、呼吸を許された鼻からは甘ったるい鳴き声が漏れ出る。

(だめ……気持ちいい……止まらないっ! どうしちゃったのよぉ……私、こんなヤツに好きなようにされてるのに……)

 快楽のあまり抵抗できなくなった菜摘は、より大きな快楽を得ようと、全身を大きく揺すって触手に身を擦りつけ始める。膣内に深々と突き刺さった極太触手がグボグボ音を立てて出し入れされ、大量の愛液と媚毒液が飛び散る。喉を犯す触手に自ら舌を絡めて、自ら媚毒を啜り取る。吸収された毒液は脳の温度を上げ、菜摘をさらに狂わせる。

「んんんっ! んっ! むふぅっ……むううぅ……んっ! んっ! んっ!!」

 触手を突き入れられて1分と経たないうちに、菜摘は色狂いのごとく頬を緩ませて腰を振り続ける存在に成り果てていた。眼球は半分裏返り白目を剥いて、頭をガクガクと振りたくる。さばけた前髪が顔面に覆い被さり、汗でべっとりと貼り付いた。

(あ……この感覚……これって……ダメ、ダメよそんなの……)

 全身の神経と脳髄を灼く快楽の中でわき起こった感覚に、菜摘は危機感を感じた。拙い自慰行為で覚えた、呼吸と血圧が大きく乱れる、一瞬の死のような感覚――

(こんなヤツに……私、イカされる……? でも……止められない……!)
「んんんんんんんんんーーーーーっ!!」

 菜摘が絶頂に入るとともに、触手達のストロークに合わせてなされていた身体の動きが、ピクピクと小さな痙攣へと変わる。両乳と子宮底から脊髄へ、そして脳へ、反射して指先に至るまで全身に広がる快楽。そして、それに伴ってわき起こる多幸感に打ちのめされて、菜摘は涙を流し続けた。

(スゴイ……イクの凄く気持ちいい……もっと、気持ちいいの欲しいっ! いっぱいイキたいっ!!)

 延々と続く長い長い絶頂の中にありながら、菜摘はさらなる陵辱を期待して腰を振る。

(ああっ……凄い、またイッちゃう! イキながらイクッ! もうダメ、何も考えられない……)
「ふんぐごおおおおおーーーーっ! おおうぅっ! んんんむうぅーーーっ!!」

 まるで鎖に繋がれた猛獣のごとく暴れ、イビキのような音声を発して菜摘は絶頂感を貪り続ける。眼は完全に白目を剥き、頭に上った血が顔面を鬱血させて赤黒く染めた。

 べちょり――袴の中、今の今まで手つかずだった穴に、新たな触手の先端があてがわれた。柔らかな柔毛がチロチロと尻穴のシワを舐め、掻痒感を与える。

(あ……私……お尻の穴まで犯されちゃう……)

 ぞっとするようなおぞましい予感。それに対してすっかり身を委ねるだけになった菜摘は、身をこわばらせることすら出来ないでいた。

(でも、私のせいだよね……勝手な真似したから……自業自得だ……)

 視界の隅で、押し倒された祭壇と倒れた御幣を捕えながら、菜摘は諦めたように目をつぶる。力の抜けた肛門括約筋を易々と押し退けて、ぶよぶよの触手は直腸内に侵入した。

「んふうぅぅぅぅぅぅーーーーーっ! んーーーっ! んふんぅぅ……」

 口と淫裂、そして肛門の三つの穴を全て犯され、菜摘はさらにグレードの高い絶頂へと押し上げられた。耳が遠くなり、ギンギンという脳内の血管が切れる音に聴覚が支配されてゆく。

(助けて……お姉ちゃん……助けて……)

 弛緩した筋肉に広がる快楽にどっぷりと浸かりながら、ほとんど狂ってしまった精神の隅で、菜摘は訳も分からずにただ助けを求めていた。

(菜摘っ! 菜摘ってば……!)
「ん……んぁ……んぅ……」
(お姉ちゃん……?)

 薄れてゆく意識の中で、菜摘は自分を呼ぶ声を聞いたような気がした。

「菜摘っ!! 聞いてるのー? おーい!」
(違う……誰……?)
「んっ……んあ……?」


 額に冷たい感触がした。続いて汗と一緒に少量の水が鼻筋を流れる。菜摘は思いきって目を開けた。視界に飛び込んできたのは、心配げに菜摘をのぞき込む友人の顔だった。

「大丈夫……?」

 少女は菜摘の額に押しつけていた清涼飲料水の缶を手元に戻すと、もう一方の手を目の前でひらひらと振ってみせる。

「あ……あれ……? 静音……?」
「すっごい汗だよ。こんな所で寝るから……」
「え、汗……? あ……うん……」

 指摘されて初めて、菜摘は自分が汗だくだということに気がついた。仰向けに寝転がっていた身体を腹筋の要領で起こすと、巫女装束の大きな袖で額をぬぐう。べっとりと汗の跡が付いて白い布地が変色した。

「まだ半分以上寝てるな〜?」
「う……うん……ごめん」

 言われてようやく菜摘は周りの状況を確認し始める。座っているのは自分の生家、六車神社の本堂の縁側だ。確かずっと気を張りつめて見張りをしていて……そのまま疲れて寝てしまったらしい。暑さの加速しそうなグレーのセーラー服を着た目の前の少女は、クラスメートで親友の静音だ。

(不覚だ。いつ管魔が襲ってくるか分からないというのに、人が来ても気がつかないほど全く無防備な状態で……)
「またあの夢?」
「うん……だけど、一年前のあれは本当にあったことだから……今でも夢に出てくるぐらいなんだから……」

 あの朝結局、管魔の手に堕ちた菜摘を助けたのは姉の穂積だった。
 ボロボロになるまで犯し抜かれ、菜摘の記憶は途切れ途切れだったが、確かに彼女は姉に救われたのだ。

 穂積は祭壇の惨状を見て、遅れて来た己の不注意を二言三言詫びると、菜摘も知らないような呪符と術を用いて部屋中にはびこる触手を一掃した。現世に留まる力を失った管魔は、同じく力を使い果たして動けなくなった穂積を捕えると、閉じかかった「門」の向こうへと消えていったのだ。かつて神隠しにあった平安期の人々と同じように、穂積は「狭間」へと連れ去られてしまったのだった。

 管魔はおろか、「門」など見たこともない人々は、菜摘の話を信じなかった。当たり前だ。当の菜摘ですら実際に悲惨な目に遭うまでは「閉門の儀」はただの形式上の祭礼だと思っていたのだから。

 結局、警察の判断は「穂積は誘拐され、菜摘は同じ犯人に強姦された」ということで落ち着いたようだった。菜摘は強姦されたことによるショックで、記憶が空想のものに置き換えられてしまっている、と判断された。

「分かってるよ。菜摘は嘘言ったりしないもん。でも……」
「無理するよ。『門』は絶対に開く。今年は『閉門の儀』も無いんだから、絶対ヤツは現れる」

 無理しないように、と言おうとした静音を遮って、菜摘は静かに言い放った。忌々しげに見つめる先には、去年の儀式の跡がそのままの祭壇がある。六車家に処女の巫女が居なくなってしまった以上、「閉門の儀」は行えない。門を閉じる者が居ない以上、去年に続いて調子に乗った管魔が現れる可能性は十分にあった。
 幼くして両親を亡くし、姉との二人暮らしだった菜摘は、穂積が連れ去られて以降一人でこの神社に住んでいる。外部に理解者が居ない以上、「門」が現れるかどうか、一人で見張りを続けざるを得なかった。

「まあ、そういうこと」
「うん……」

 あくびをかみ殺しなら充血した眼を向ける菜摘に対して、静音は何も言わない。
 盆はとっくに過ぎている。実のところは、今年は「門」が現れなかったと考えるのが妥当なのだろう。だが、姉の帰還を信じる菜摘にしてみればそれは自分の信念を曲げることであるし、そう分かっている静音には口が出せないのだ。
 そういうわけで、盆が始まって一週間以上経ち、菜摘達の通う学校で補習が始まってもなお、菜摘はほとんど寝ずに見張りを続けていた。

「どうしよう? 代わろうか?」
「ん……いや、さっきかなり寝たから、今日はいいよ。もう目が覚めちゃったし」

 わずかに取る仮眠の間、菜摘は静音に見張りを頼むようにしていた。もちろん、異常があればすぐに駆けつけられるように、すぐ側の部屋で眠るのだ。

「そう? 遠慮しなくていいんだよ。私も穂積さんにはお世話になったし」
「ありがと……でも今日は大丈夫。また明日、お願いするかも……」

 自宅が就職先の菜摘と違って静音には大学受験がある。いかに親友とはいえ、来るかどうか分からない魔物を待つために長時間つき合わせるのは気が引けた。

「わかった。じゃあジュースだけ置いてくよ。汗かいたんだから水分補給しないと……」
「いいよー。どうせ余計に喉乾くぐらい甘いヤツでしょ?」

 どこで買ってくるのか、静音の持ってくる飲み物は常軌を逸している。一昨日はアーモンドオレだったし、昨日はハチミツ抹茶だった。そして今日は小豆ベジタブルだ。

「えー、結構いけるんだけどなぁ……まさに流動食って感じのドロドロ繊維が……」
「気持ち悪いから説明しなくていいよ」

 結露まみれの缶ジュースがほどよく生ぬるくなる程の時間、他愛もない会話を交わして、静音は帰っていった。
 坂道を降りる後ろ姿が、沈みかけた太陽に呑まれていくように消えるのを確認すると、静寂を取り戻した周囲に向けて菜摘は大きくため息をついた。

「…………」

 無言で袴の中に手を差し入れ、股間に手を這わせる。

「濡れてる……」

 起きてからずっと気になってはいたが、ソコは思った以上に淫液でベトベトに汚れていた。
 1年前から菜摘を悩ませる記憶のフラッシュバックのような夢は、悪夢であると同時に淫夢でもあった。いい加減うんざりしながら、下着を替えようと立ち上がった直後――

「きゃああああああああああっ!! 出た! 出た出たっ!!」
「!!」

「来た……」

 坂の向こうから響いてきた静音の悲鳴を聞いて、菜摘はすぐに走り出していた。


つづく!