ごぼごぼと泡を吹くような音を背後に聞いてアイは振り返った。
 床や壁の表面にべっとりと貼り付いて広がる肉塊は、空気と粘液の混合物を吹き上げながら次々触手を生み出し、アイのすぐ背後にまで迫っていた。

「醜いわね……」

 足元に絡みつき這い登ってこようとする触手をにらみつける。胸中にあるのは、自分や自分の大切な人を散々な目に遭わせたこの存在に対する憎しみ、憐憫の欠片もない純粋な憎しみだけだった。

「ご……こおおぉぉぉおっ!」

 声なのか、単に空気が漏れているだけなのか判別がつきかねる呻きとともに、床と壁から同時に十数本の触手が伸びる。腸を思わせる肉色の管達が、鞭がしなるような音を立てて風を切り、アイの身体を拘束しようと殺到する。

 たが、触手達がその粘つく胴を獲物の身体に巻き付けることは叶わなかった。そのことごとくがアイの身体に触れる寸前に輪切りにされてしまったのだ。
 無言で佇み続けるアイの身体からは、先端の数十センチが鋭い刃物のようになっている触手が何十本も生え、たった今切断した敵の体液が付着した鎌首をもたげていた。

「うおおおおおおっ! せりゃああああああっ!」

 裂帛の気合いとともに、アイは己の身体に生える触手を極限まで伸ばして振り回した。数十本にも及ぶ触手達の付け根に当たる両腕と下腹部に力がかかり、ぎしぎしと軋む。
 鋭利な凶器と化した触手の先端は、建物の至る所に付着した肉塊めがけて振り下ろされ、成長しようとするゆらぎを片っ端から気持ちよいほどにスパスパと切り裂いてゆく。切断面から黄色い膿のような腐汁が噴き出し、周囲に付着して腐臭を撒き散らす。
 殺戮の中心に位置しているアイの身体にも腐汁は例外なく降りかかる。そのうちの一塊りが、怒りと憎しみで見開かれた彼女の両目に偶然直撃した。

「うっ……ぐぅぅっ……」

 視力を奪われ、コントロールを失ったアイの触手が次々と敵の触手に絡め取られる。視界が回復したときには、アイが自由に操れることの出来る触手は一本も残っていなかった。

 一度捕まってしまえば力の差は歴然だった。
 怒りと憎しみだけでほとんど力の残っていない身体を動かしていたアイと、豊富な力をもった肉体をベースに構築されたゆらぎでは、元々の能力が違いすぎたのだ。
 建物そのものを侵食したゆらぎは、波打つその表面から触手を伸ばし、あらゆる方向からアイを拘束する。そして一斉に、アイの身体に生えた触手を引きちぎった。

「ぎゃああああああああっっ!」

 ぶちぶちぃっ! という音。蜘蛛の巣の中心に捕らえられたような格好になっていたアイの身体は独楽のようにスピンして倒れた。
 激痛を発する腹部と両手の破断面からは出血こそなかったものの、組織を再生させるように濃黄色の液体が泡を吹いてわき出していた。だが、新たな触手が生えるよりも前に、アイの身体には敵の触手が絡みついて、その動きを封じてゆく。

「クソッ! クソオォォォォッ!」

 無駄と知りつつも、アイは目の前に迫った触手を素手で引きちぎりにかかる。だがその腕は逆に触手によってねじり上げられてしまい、ついには全く抵抗の出来ない状態に陥ってしまった。

「こっ……のぉ……クソッ! クソォッ! 離せっ……はな……ぐ、ぎいいいいぃぃっ!? あ、あがあああぁぁっ!」

 意思というたがが外れたゆらぎの行動は、全く本能的、動物的でかつ残忍なものだった。ねじり上げたアイの両手両足を、本来曲がらない方向に無理矢理押し曲げたのだ。肩と股間の関節が外れ、ごきりと鈍い音を放つ。

「ぎゃあああああああああっ!」

 激痛のあまり絶叫して身体をねじり、じたばたともがこうとするアイだが、数十本にも及ぶ触手によって空中につり上げられ、ガチガチに縛られてしまっては、身じろぎすることも許されない状況だ。
 ゆらぎに支配された建物そのものが胎動してうごめくその様は、巨大な化け物の体内に捕らわれてしまったかのような錯覚を与えた。

「あ……が……」

 息も絶え絶えのアイめがけて、床から生えた二本の触手がまっすぐに伸びる。

 そいつらは全く正常に本能に従い、焦らしたり舐ったりするような動作など全くなく、ただ機械的に正確に、さらけ出されたアイの二穴へと侵入してきた。
 潤滑性に優れた粘液のまとわりついた触手は、さしたる抵抗もなく秘裂と肛門を貫く。そして、抜けないように鏡面の吸盤が膣壁、腸壁にしっかりと貼り付くと、不気味に蠕動し始めた。

「ああああああっ! ああああぁっ!」

 うごめく触手の先端から注ぎ込まれてきたのは、冷たいコールタールのような粘度の高い不快感を催す液体だった。膣内に流し込まれたそれは、異物を排泄しようと高まる内圧をものともせず、中にあったわずかな空気を押し退けて奥へ奥へと進み、子宮の内部に入り込む。
 腸内でも同様に、タール状の液体がS字結腸を抜けて下行結腸、横行結腸へと侵入していた。膨圧で腹部がカエルを膨らませたように張りつめる。

「ぐっ、ぐううぅぅぎぃいぎぃぃぃっ! ぐあっ、あっ、あああああぁぁっ!」

 (あ……お腹、おなかがあぁ、苦し……くふぅぁああっ! し、染みるぅっ! くぅ、ひいいぃっ! 気持ち悪いのが染み込んで……くるぅっ!)

 内圧に苦しみ、脂汗をだらだら流してアイは不快感を訴えた。

 液体が身体の組織に浸潤してゆくという不快感と一緒に、アイは自分の身体がこの液体によって細胞レベルで作り替えられてゆく感覚に見舞われていた。
 身体の末端にとどまっていた肉体の変化が、中枢の神経にまでおよび、快楽を求める飢えた心によって理性が飲み込まれてしまう。
 自分の存在が何か別のものに置き換えられてゆくような不可逆な変化。それによる気持ちの悪さは不快感というレベルを越えて、嘔吐感としてアイの心を苛んでいた。

 元々グネグネうねっている触手達が、異常を来した視界で余計に歪んで見え、アイは軽く餌付きながら胃を痙攣させた。

「う……うえええぇ……っ、はぁっ、はぁっ……くぁああぁ……は……れぇ……」

 (うううぅ、気持ち悪いぃっ! 胃がびくびく言ってる……吐きそう……苦し…………あ、あれ? 何か……急に……?)

 しかし、その不快感も長くは続かなかった。
 半ばまで変質をきたしたアイの身体は、今度は身体を作り替えられることを悦びとして感じるようになっていたのだ。

 まるで本来の自分をどんどん取り戻してゆくような爽快感。不快感は快感に変わり、嘔吐感は絶頂感となって神経を包み込む。
 徐々に抵抗が弱くなってゆき、自発的な筋肉の動きがなくなり、外からの入力に対して身体をぴくぴく動かすだけになってゆく。

 吸収が終わったときにはその身体は、刺激に反応して快楽をむさぼるだけの人形と化していた。
 そこには、気丈に抵抗した戦士の面影は全くなかった。

「はぁぁ……はぁぅ、うん、んぐぅぅっ……くうううぅぅっ! ほひ、おひいいぃいっ! おくぅ! すご……おおぅっ!」

 (何? これぇ……こんな、凄い気持ちいい! 腸の奥の奥まで触手にほじられる感覚が……凄い新鮮で気持ちいいぃぃっ! もっと、奥までぇっ! もっと早くぅっ! 欲しい欲しい欲しい欲しいっ!)

 耐えようとか歯止めを効かそうとかいった観念は全く沸き起こらなかった。
 開発され具合を確かめるように、膣内の触手は子宮口をこじ開け、ゆっくりと子宮の内部に入り込み、ぐるぐると回転して、子宮と周辺の臓器を揺さぶる。

 直腸の触手は、下行結腸を這い登って、周囲に付着した大便や、一週間前に浣腸された蟲の死骸を押し流しながら横行結腸へと向かう。
 腸の曲がり角を通過する触手は腸壁と腹膜を圧迫摩擦して奥へと進む。本来激痛であるはずの刺激。だがそれすら、今のアイは快楽として受け取ってしまう身体になり果てていた。

「ひゃうんん……あううぅぅんっ! すっごいっ! どんどん奥流れてくぅっ! イイッ! いひいいぃぃ、いぎぎいぃぃぃっ!」

 (ああぁ……触手がどんどん奥入っていって……苦しいはずなのに……全然苦しくない、それどころか内臓犯されて……すっごく気持ちいいぃっ!)

 触手は子宮を満たし、卵管の中にまで入り込んでくる。同時に大腸の中全てを満たしたもう一本の触手は、大量の排泄物を小腸へ押し流し、自分自身も上行結腸から小腸の中に入り込んでゆく。
 内臓を犯される強烈な快感。触手の表面に刻まれた凹凸が内臓壁を擦りうねらせてゆくたびに、アイは何度も絶頂を迎え、びくんびくんと痙攣を繰り返した。

「イクッ! いぐぐぅっ! んっ……んががが、んがあぁっ! ふはああっ、はぁっ、はあっ!」

 喜悦に歪んでいるアイの顔面へ、天井から二条の触手が降りかかる。狙いは鼻の穴だった。触手達は鼻水を押し退けて鼻の穴を埋め、鼻腔を満たし、喉奥へ侵入する。
 左右の鼻を交互にピストンされ、喉粘膜を犯されて、アイは必死に口で呼吸をする。

 その間にも子宮に入り込んだ触手は、卵管、そして卵巣までも侵入し、消化管を逆行する触手は、既に十二指腸にまで突き進んでいた。
 腹の薄皮は触手の進行にしたがって不自然にうねり盛り上がる。今のアイは内腑をかき回され犯され尽くして、暴れる触手を内蔵した皮袋でしかなかった。

 ぎちゅ、ぎちゅっ、と卵巣がかき回される感覚。ぶちぶちと組織が潰されるごとに、走る快感は、自己破壊の悦びによって増幅され、神経の束が脳髄を締め付けるような快楽を呼び起こす。

 (あぁ……私……内臓潰されて、るぅ……子供が産めなくなっちゃう……コイツらに喰われて……イイッ! すっごく気持ちいい、鼻も喉もじゅぽじゅぽされるの気持ちいいよぉ……あれ? 私、息してない……?)

 鼻から入った触手に気道を塞がれて、自分が呼吸をしていないことに気がついたアイは、瞬間的な恐怖に見舞われる。
 だが、その意識すらすぐに快感に覆いつくされてしまい、アイは呼吸を止めたまま白目を剥いて、酸素不足に陥りぼぉっとする頭をただひたすら快楽をむさぼることに没頭させていた。

 内部からの圧力にうねる体表を押さえつけるように、外からも何十本もの触手がアイの身体には絡みついていた。
 関節を外され力を失ってた両手両足に巻き付き、身体をに浮かせると、改造されて敏感になった皮膚へと一斉に巻き付く。
 触手の包帯で肉色のミイラと化したその身体は、触手がずるずると這いうごめく度に、皮膚に集まった神経帯や、乳首やクリトリスと言った局所が刺激されて、反射するようにじたばたともがき暴れた。

「ふぐぅ……うぐ、んがあぁっ! あひゅ、く、ふうぅぅっ! んっ、んおおぉぉぉっ?」

 (中からも外からも犯されて締め付けられるぅっ! 挟まった肉がぎりぎりぃって……頭ぼぉっとしちゃう……あ、何か……何か来るっ! せり上がってくるっ!)

 消化管を逆走した触手は胃に達し、内容物をごっそりと押し上げて食道に入る。激しい嘔吐感とともに最初に口腔へせり出してきたのは胃液だった。

「おごっ! ごぼぼおぼおぉぉおっ! お、ううぅぅっ!」

 (酸っぱい……それに、苦しくて……だめ、何も考えられないぃっ!)

 次に扁桃を押し退けて上がってきたのは黒くてぶよぶよの蟲の死骸。一週間前に腸内に流し込まれてそのままになっていたものだ。
 腐敗が進んでいたせいか、蟲表面の粘膜は至る所が破れ、腐汁を染み出させていた。腐った食物の持つ酸味と苦みと腐臭がアイの口腔に広がる。

 ほとんど同時に、腸内にあったペースト状の大便が喉奥から流れ出してくる。熟成された強烈な腐便臭によって、酸素不足で朦朧とするアイの意識に、脳をハンマーで直接殴られたような衝撃が走った。

「が……ごごぼっ……おぉうぅっ……ごぼぼぼおおっ!」

 喉の通り道を目一杯拡げながら、触手の先端が口腔に顔を見せた。
 溜まっていた異物を一気に吐き出し、口から生え出ると、出口を見つけて悦ぶ動物のようにびちびちと汚物にまみれた液体を撒き散らす。

 自分の尻から口までを貫いた触手が目の前で跳ね、口の中の体積を占領する触手に舌を撫でられる様を、アイはもうろうとした意識の中で見つめていた。
 伝わる感覚からは既に嘔吐感は失せ、この異常な事態から来る倒錯した快感に酔いしれていた。

 (そう……か……)

 目の前で悦び跳ねる触手を呆然と眺めながら、アイはゆっくりと考えていた。
 その間にも舌からはビリビリとした化学的な刺激と、肉が溶けてゆくような快感が伝わってくる。

 (こうやって……獲物を消化するんだ……)

 ゆらぎの生態について一つだけ学習して、アイは満足げに軽く笑みを浮かべた。
 そんなことどうでも良いような気もしたし、もっと大事なこともあったはずだったけれど、今となっては思い出すことも出来なかった。

「んあ……ふ、きゅううううぅっ!」

 雑巾でも絞るかのように、外から巻き付いていた触手達が一斉に身体を締め上げる。まるで風船のように柔らかくその身体は歪み、喉から漏れた空気が奇妙な音声を発した。
 その無惨な姿は、新たに巻き付いてきた触手達によって覆い尽くされてゆく。

 密集した触手の塊の中に埋め尽くされ、なされるがままに体液を啜られながら、アイは無念な思いに捕らわれ続けていた。
 どうして無念なのかすらを思い出せないまま、彼女の意識は闇に沈んでいった。

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