「それぐらいにしておいたら?」

 静かな口調。それでいて不思議な威圧感を持った、凛とした声が周囲に響き渡った。その場にいた者が一斉に振り返る。
 野盗たちが乗ってきた車の天板の上、一人の華奢な少女が立ちはだかっていた。
 黒のハイネックレオタードに深青の上衣とミニスカート、同じ色の指貫長手袋とオーバーニーソックスという出で立ちは、ゆらぎを狩るべくして生み出され、派遣された魔法戦士のものだ。右手に持った六尺はあろうかという赤いロッドと、コスチュームと同じ深青の髪をまとめる真っ赤なリボンが、彩りのない周囲の風景の中でひときわ鮮やかに映えていた。

「ぐ…ぐるるるる……」

 シルエットこそ華奢な少女のものだが、そこから放たれる殺気には一種独特の冷たさがあった。気圧されたのか、ゆらぎは暗緑色の触手に埋もれた目玉でアイをにらみつけたまま、口ともただの亀裂ともつかない器官から泡を吹き、まごつくように触手をうねうねとくねらせて思案をめぐらせる。

「そこまで肉体に変異を起こしてるんだったら、残念だけど手遅れね……せめて苦しまないように一瞬で殺してあげるわ」

 深紅のロッドを掲げるように構え、アイは冷徹な眼差しをゆらぎに向ける。周辺の空気中に含まれる水分が一気に凝結するような、そんな冷たさだ。

「ごぼっ、ごああああぁぁっ!」

 しびれを切らしたように十数本の触手群がアイに襲いかかる。余裕のない直線的な動きと、目標を粉砕しかねない程の猛烈な勢いが、アイのことを捕らえて責めなぶるための獲物ではなく、滅すべき敵と考えていることを示していた。

「たああぁぁっ!」

 アイは鋭く発声すると足下を蹴り、宙高く舞う。ロッドの片端に両手を添え、空中で前方に一回転して遠心力を付けると、狙い定めたように2、3本の触手をまとめて叩き落とし、砂埃を上げながら地面に着地した。

「ぐ、ひゅううぅぅぅっ!」
「遅い、遅い遅いぃッ!」

 傷口から体液を流し、苦しげなうめきを上げながらも、ゆらぎは目の前の敵を絡め取ろうと必死に触手を伸ばす。だがその攻撃は気配もなく、むなしく空を切るのみだ。
 アイは次々と襲い来る触手を超人的なステップで全てかわしながら、華奢な片腕で軽々とロッドを振り回す。その動きは一見不規則なようで、飛来する触手を空中で一本残らず確実に撃墜しながらワンステップごとに確実に間合いを詰めていた。そして十数秒後には一太刀で届くほどの間合いにまで接近していた。

「このおおおおおおぉっ!!」

 それだけで周囲の空気が化学変化を起こしてしまいそうな程の裂帛の気合。合わせて真空波を帯びたロッドが一薙ぎされると、数本の触手がその根本から千切れ飛ぶ。
 触手に抱きかかえられたままだった被害者の身体が宙に放り出され、まるで計算されたかのように地上で待つアイの身体めがけて落ちてきた。
 異臭を放つ液体にまみれて放心する女の身体を軽く片手で受け止めその場に座らせると、身体を切断された激痛に震えている獲物に、とどめを刺すべく歩み寄る。

「苦しそうね……でも安心して。その苦しみももうすぐ終わるわ……」

 感情を押し殺した静かな声。
 アイは腐臭を放つ体液をどくどくと垂れ流す獲物の眼前に立ちはだかると、ゆっくりと片腕を振り上げる。

「――っ!!」

 邪魔は意外なところから入った。地べたで放心していたはずの、先刻助けたばかりの女がアイの横っ腹に組み付いてきたのだ。ロッドが空を切り、地面を叩く。

「お願いです! この人を殺さないで! これでも私の夫なんです!」

 いまだに陵辱の痕たる白濁に股間を濡らしながら、全裸の女は必死の形相でアイにまとわりつく。

「こ、のぉっ……邪魔っ!」
「きゃっ!」
「この男の魂は既に喰われてしまっている。こうなってしまった以上、元に戻る見込みはない。あなたまで一緒に死ぬ必要はない」

 再び地面にしりもちをついた女に、アイは短くてきぱきと情報を与える。

「でも……だからって……」
「危ないっ!」

 なお反論しようとする女の背後から振り下ろされた触手を、すんでのところでアイのロッドが弾いた。その一撃で力つきたのか、ゆらぎはその場にうずくまりぶるぶると身を震わせるのみとなった。
 アイは再びロッドを振り上げると、一瞬の躊躇の後、思い切り振り下ろした。ぐちゃりと生々しく派手な音を立て、もうほとんど人間の原形をとどめていなかった触手塊が叩き潰され、肉塊と化す。
 呆然と見つめる女を一瞥して、アイは小さく溜息をついた。
 人を助けているつもりで居ながら、結局殺戮に終始してしまい救うことの出来ない苦しみと、こんな事ぐらいで迷い躊躇しているようでは戦士として失格ではないかという自嘲とが混ざり合った複雑な溜息だった。
 再び静寂が訪れる。村人達は警戒と恐怖のため互いに身を寄せ合って動かず、野盗達も予期しない事態に手を止めて謎の戦士を見守っていた。

「お、おい……」

 静寂を破って野盗の一人が遠慮がちに声を掛けた。化け物の仇を取ろうなどという意思は微塵も感じられない、どちらかというと思わず声を掛けてしまったというような呼びかけだ。

「アンタ達はまだ人間みたいね。いいわ、殺さないでいてあげる。その代わり……」

 すっ、と喉元にロッドを突きつけながら言葉を続ける。

「さっきの化け物について、知ってること全部話してもらうわよ」

 尋問者となったアイの眼が鋭く光る。目の前の男がどこまで知っているかは分からないが、少なくともゆらぎを自分たちのために利用している者であり、気遣など必要ない相手であることは確かだ。

「ぐ……てめぇ……こっちは何人いると思ってるんだ!?」

 その言葉が合図だったかのように、ワゴン車の周りにたむろしていた野盗達が、手にした斧や鉄パイプを一斉に構えた。

「そう……じゃあ殺してから直接脳に訊くことにするわ」

 そう言うとアイは、突きつけていたロッドをいったん引いて、振り回しやすいように掴む位置をその中程へと変える。

「……ク、クソッ……覚えてやがれ!」

一片のプライドにすがって威圧感に耐えていた男達だったが、冷徹な眼に一睨みされるとそのプライドもどこかへ行ってしまったようだ。三流悪役独特の捨て台詞を吐くと、我先にと車に乗り込んで、砂煙を巻き上げながらその場から一目散に去っていった。

「……っ! 待てっ!」

 視界を覆う砂煙を払いのけ、アイは轍に沿って車の後を追いかける。
 野盗とアイが去った後の村には、血まみれの肉塊と化した元村長の死体と、股間からいまだに白濁を流し続けて放心するその妻、そして成り行きを呆然と眺め続ける村人が残され、村は再び元の静寂に包まれようとしていた。

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